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妙蓮『蓬折箴』3

2016.09.30 20:42|妙蓮『蓬折箴』



右吾
之後聞律、亦未我先、性好攻異、評薄前人、為先師所惡、每謂彼輕狂、出言無度、有朿𥯣之旨、 

右吾の後に律を聞き、亦た未だ我が先にはならず。性は異を攻めるを好む。前人を評薄し、先師の悪む所と為る。謂う毎に彼は軽狂なり。言を出すに度無く、朿蔑の旨有り。 

注1 右吾=「左支右吾」という熟語があるが、あるいは「左支」が脱字したものか。ちなみに「左支右吾」は、左右どちらにもさしつかえがあって思うにまかせないこと。しかし意味が通らない・・・。あるいは「右」は左に対して下位を指すから、自身を卑下して言うものか。ここでは「右」を無視して「吾」の意だけを拾った。
注2 評薄=忖度すること、思量すること。他人のきもちをおしはかること。
注3 前人=昔の人、先人。ここでは南山宗祖道宣を指すのだろうか。
注4 先師=亡くなった師匠、先生。守一の師は如庵了宏(?~1200~1211頃)。俊芿が1211年に帰国した際、「如庵舎利三粒」を持ち帰っている(『不可棄法師伝』)ことから、この時までに彼は没していたことがわかる。

注5 朿𥯣之旨=𥯣は蔑の異体字。原文では「束𥯣之詣」とあるが、束は朿、詣は旨の誤りか。「棘のある蔑みの内容」ほどの意味にとった。



(守一は)私(妙蓮)の後に律を聞き、(その学識は)いまだ私より先んじることはない。(彼は)異なる意見を持つ者を攻め立てることを良しとする性格であった。先人である道宣の考えを(自分勝手)に推し量り、(伝統をつなげてきた)師匠に嫌われていた。(守一が)話すことは常に軽薄であやまっていた。その言葉は限度を知らず、棘のある蔑みの内容であった。

He (tiĕwēng 鉄翁)  joined Nanshan sect later than I (miào lián 妙蓮), and he cannot yet surpass me in learning. He willingly attacked the person who had the different view from himself. He speaks for the opinion of the founder of Nanshan sect(dào xuān 道宣) by selfish imagination, therefore he was disliked by his master. It was always frivolity and crazy that he talked. He has no manners, has a sharp tongue, looks down on others.

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妙蓮『蓬折箴』2

2016.09.29 22:34|妙蓮『蓬折箴』

吾宗有鐵翁者、自謂實學、好揚名於後世、高則不高、名品非名、鳥鼠之喻、可也羊齒(『蓬折箴』『続蔵』巻60、80頁上)


吾が宗に鐵翁たる者有り。自ら「實學」と謂い、後世に於いて名を揚ぐを好むも、高は則ち不高、名品は非名なり。鳥鼠の喻、可也羊齒。



注1:鐵翁=鉄翁守一(1182~1254頃?)。南宋代南山宗の僧。如庵了宏(?~1200~1211頃)の弟子で、日本から了宏に師事した入宋僧俊芿(1166~1227、入宋:1199~1211)と邂逅。

注2:鳥鼠之喻、可也羊齒=意味とれず。「鳥鼠之喻可也羊齒右吾之後・・・」と続く文章であり、句点の位置がこれで正しいのかも不明。



吾が宗(南山宗)に鉄翁守一という者がいる。自らの学問を「真実の学」であると主張しており、後世に名声を得ることを望んでいるが、その行いは高潔とはいえず、評判もまた名声とはほど遠い。鳥や鼠の喩え、・・・???


There is a person called tiĕwēng 鉄翁 in our sect (Nanshan 南山). He insists that his opinion is right interpretation of Nanshan sect. He wishes to immortalize his name, but his act is not noble-minded and his reputation is far from the fame.

妙蓮『蓬折箴』1

2016.09.28 22:00|妙蓮『蓬折箴』

傳曰、實行光、高而不名、寡德適時、名而不高。
(『蓬折箴』、『続蔵』60、80頁上)



傳に曰く、「實行なれども光を韜(つつ)めば、高なれども名せず。寡德なれども時に適えば、名あれども高からず 」と。



注1:傳曰=慧皎『高僧伝』序。『高僧伝』の本文は「實行潜光、高而不名、寡德適時、名而不高」(『大正』40、419頁上)。『高僧伝』は名ばかりで行動が伴わない者については記さず、名声を得ることはなかったけれども、仏教徒としてすばらしい行動をとった者について記載される。

注2:韜=つつむ。「韜光」で才能などを包み隠すこと。



『高僧伝』には次のように言っている。「実際に行動したとしても、そのすばらしさが包み隠されれば、高潔であったとしても名声を得ることはない。徳が少なくとも、時流に合えば、高潔でなくとも名声を得るのである」と。



※この部分は、『蓬折直弁』にはなく、『蓬折箴』オリジナル


Kao-sēng-ch'uan 高僧伝  said "Even if virtue, I can not get fame if it is hidden. Even if immoral, I can get fame if it is matching with the current of the times."

テーマ:仏教学
ジャンル:学問・文化・芸術

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