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妙蓮『蓬折箴』12

2016.10.14 22:31|妙蓮『蓬折箴』
便謂、吾祖弘律、以妙觀為本、蓋准律中、觀念對治、常爾一心念除諸蓋等、但猶屬小觀、故引唯識妙觀、而之為弘律本、(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁上~中/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁上)

便ち謂う、「吾が祖の弘律は、妙觀を以て本と為す。蓋し律中に准ずれば、觀念對治するに、〈常に爾一心に念じて諸蓋を除け〉等と。但だ猶し小觀に属す。故に唯識妙觀を引きて、これに導くを弘律の本と為す」と。

注1:便謂=以下は『終南家業』「教観撮要」の文を略しつつ引用したもの。最初のセンテンスに該当する。
吾祖弘律。以妙觀為本。蓋準律中。佛制比丘。觀念對治。方能入道。故曰。常爾一心。念除諸蓋。違則結犯。但律中。觀念皆屬權少。祖師克究佛懷。深符開會。直依攝大乘論(皈敬儀引)知塵無所有(空觀)。通達真(真諦)。知唯識有。(假觀)通達俗(俗諦)。若不達俗。無以通真。若不通真。無以遣俗。以俗無別體等義(上顯真俗相即為空諦。空假不二為中觀)。立中道妙觀。為出家學本。(『終南家業』「教観撮要」『続蔵』59、717頁下)
注2:妙観=『蓬折直弁』では「観妙」と作る。
注3:准=『蓬折箴』では「唯」と作るが、『終南家業』「教観撮要」の本文とつき合わせ、『蓬折直弁』にしたがって改めた。
注4:律=『四分律』を指す。
注5:観念対治=「観念」は観想・瞑想すること、「対治」は煩悩を降伏させること。すなわち、瞑想によって煩悩を治めること。
注6:常爾一心念除諸蓋=『四分律』(姚秦・佛陀耶舍・竺佛念等の共訳)巻53、「雑揵度」3に繰り返し出る文章(『大正』22、963頁下~964頁上)。
注7:導=『蓬折直弁』では「融導」と作る。

守一は『終南家業』「教観撮要」内でこのように言っている。「南山宗祖道宣の弘律活動は、〈妙観〉を主体とするものであった。思うに律中には、瞑想して煩悩を治めることを「常に一心に念じて煩悩を除く」などと言っているが、これらはただ小乗の観法について述べたものである。だからこそ(道宣は)〈唯識妙観〉を出して、人々をこの観法に導くために、律を弘めたのである」と。

There is the opening sentence of Chapter 1 "Jiàoguāncuōyào教観撮要" of Zhōngnánjiāyè終南家業 as follows. "Dàoxuān道宣 which was the Nanshan sect father diffused the vinaya. His true purpose was diffusion of miàoguān妙観 meaning exquisite meditation. In my opinion, meditation to sink worldly desires in the vinaya (sìfēnlǜ四分律) is called that, `You always remove worldly desires by meditateing earnestly’. But that is the Hinayana meditation. So Dàoxuān propagated the vinaya to lead people to outlook on wéishìamiàoguān唯識妙観".

妙蓮『蓬折箴』11

2016.10.13 22:00|妙蓮『蓬折箴』
淳祐初、滄洲方丈、忽得終南家業、一見名題、不勝欣仰、豈謂宗中有此寧馨児、及至展卷臨、披讀首章元來恰是懷家之子破題、(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁上/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁上)

淳祐の初め、余、滄洲方丈に於いて、忽ちに『終南家業』を得。一たび名題を見るや、欣仰に勝えず。豈に謂わんや宗中に此の寧香児有らんことを。巻を展じて文に臨むに至り、首章を披読するに、元来恰も是れ壊家の子にして題を破す。

注1:淳祐=淳祐年間(1241-1252)
注2:余=『蓬折箴』本文にはないが、『蓬折直弁』にはあるので補った。         
注3:滄州=寧波の景福寺を指す。下記参考文献1を参照。
注4:方丈=長老の住処。すなわちこの時妙蓮は寧波・景福寺の長老職にあったことがわかる。
注5:終南家業=守一述・行枝編『終南家業』(『続蔵』59所収)。
注6:欣仰=『蓬折箴』本文では「忻仰」と作るが、文意から『蓬折直弁』に従って改めた。欣喜仰慕(非常によろこび、敬慕の気持ちを抱くこと)。
注7:寧馨児=『蓬折箴』ならびに『蓬折直弁』本文では、「寧馨」と作るが、意味から「児」を補った。「寧馨児」は、すぐれた子、神童、麒麟児の意味。
注8:文=『蓬折箴』には「之」と作るが、文意から『蓬折直弁』に従って改めた。
注9:首章=守一述『終南家業』の初めの章は「教観撮要」である。
注10:元来恰=『蓬折直弁』には「元」としかない。『蓬折箴』作成に至って補われたものか。

淳祐年間(1241-1252)の初め頃、私(妙蓮)は、寧波の景福寺の長老職に就いて、すぐに守一の著作である『終南家業』を手に入れた。そのタイトルをひと目見て、喜びと敬慕の気持ちが湧き上がった。自分の宗内からこのような麒麟児が出た喜びをどのように表現すればよいというのか。ページをめくって、文字に目を落とし、最初章である「教観撮要」を読んだ。果たして彼は、さながら家を壊す子であり、『終南家業』というタイトルを見事に破壊してしまっていた。

The chúnyòu淳祐 period(1241-1252) beginning, I became the zhǎnglǎo長老 of the jǐngfúsì temple 景福寺 in níngbō寧波. I got zhōngnánjiāyè終南家業 (meaning is "the work of Nanshan sect") written by tiĕwēngshŏuyī鉄翁守一 immediately. As soon as I looked at the title, joy and respect welled up in my heart. How should I express the joy that a prodigy was born in our sect? I turned up the page and cast my eyes down at the book, I read the first chapter "jiàoguāncuōyào教観撮要". So I have known that he was the child who broke my house Nanshan sect. The title of the book was broken.

〈参考文献〉
1.西谷功「滄州と入宋僧―南宋代における一律院の所在とその宗教的空間―」(『二〇一二年度早稲田大学総合研究機構プロジェクト研究』第八号、2013)

妙蓮『蓬折箴』10

2016.10.12 22:34|妙蓮『蓬折箴』
後作一書、略示幾件、太叨濫處、而送還之、未知此文、今亦流傳否、(『続蔵』60、80頁上)

後に一書を作し、略して幾件を示す。太だ処を叨濫すれども、これを送還す。未だ此の文を知らず、今亦た流伝するや否や。

注1:叨濫=トウラン?いずれも「みだりに」の意。意味を取りづらい。ここでは前述までの経緯を踏まえ、湖心広福律寺を汚す、と訳したが、深読みしすぎの気もする・・・

私(妙蓮)は、何年後かに一書を作成し、いくつかの疑問点について記した。広福律寺の立場を汚すことになるが、しかしこれを(守一へと)送還したのである。その時の一書がどうなったのか、私は知らない。今もどこかにあるのだろうか。

I wrote a document about some problems several years later, and I replied to him in it in spite of pollute my position.  I do not know what happened to that document. Will there be still it somewhere?

※『蓬折箴』1~10までは、『蓬折箴』オリジナルの文章で、『蓬折直弁』には見られない。以後の文章は、『蓬折箴』『蓬折直弁』のいずれもに共通するので、両書の『続蔵』該当頁を記す。

妙蓮『蓬折箴』9

2016.10.11 22:21|妙蓮『蓬折箴』
余、正若醒人、於醉漢、只不苦較其是非、置於案上經乎載、

余、正しく醒人酔漢に陪するが若し。只だ其の是非を較ぶること苦しからず。案上に置きて載を経る。

注1:陪(バイ)=『蓬折箴』本文には「隌」と作るが、意味から改めた。そばに付き添う、伴をする、補佐する、ほどの意味。

私(妙蓮)は(そのときには)まるで酔っ払いに付き添うように(守一に)接し、彼の説の是非を明らかにすることはせずに、案件として置いたまま時を経てしまった。

I managed him as if he were the drunk therefore I did not clarify the right or wrong of his claim at that time. I have passed through time with putting it as a matter.


凝然の『梵網経古迹記』注釈態度とその後世への影響について -散佚文献 : 凝然撰『梵網上巻古迹修法章』の検出を通して-

2016.10.10 21:44|論文紹介
龍谷大学大学院文学研究科紀要 30, 32-47, 2008-12-10
凝然は、南都の伝統となっていた法相戒観にもとづいて、衆生と真如との隔絶を説き、一方で華厳の性起説にもとづいて、戒の本性たる仏種子を真如随縁の種子と解釈する。つまりこれによって凝然は、受戒によって、衆生の内に仏性が初めて熏じつけられると主張する。こうした凝然の解釈が孫弟子の清算によって展開され、一気に南都の戒解釈が天台義に近づいたことを論じた。

icon_1r_64.png龍谷大学リポジトリ 

妙蓮『蓬折箴』8

2016.10.07 22:57|妙蓮『蓬折箴』
意在逞伎、素知、彼不識分量妄作、可、說妙談玄、既無尺寸、如遠方村民、誇於上國醜婦、說少時容㒵、略無

意は逞伎に在り。素より知んぬ、彼は分量を識らず妄作す。恤(あわ)れむべし。妙を説き玄を談ずること、既に尺寸も無し。遠方の村民、上国に於ける醜婦を誇り、少時の容㒵を説くが如く、略(ほぼ)羞澀すること無し。

注1 意在逞伎=『続蔵』ならびにその底本である蔵経書院文庫所収の『蓬折箴』本文(以下特に注記しないかぎり「『蓬折箴』本文」とする)は、いずれも「意意在程伎」であるが、文意から改めた。「逞伎」は、技芸を発揮するの意。
注2 恤=あわれむ。『蓬折箴』本文では、「[女血](女偏に血)」の字を宛てるが、この字は諸橋大漢和にも見つけることができず、意味を取りづらい。女編と立心偏とは、意味が通ずる場合も多いので、恤に改めた。
注3 尺寸=ごくわずかばかりのこと。
注4 羞澀=恥じる、恥ずかしがる。『蓬折箴』本文では、「羞灑」とあるが、文意から改めた。

守一の意図するところは、自らの学問的技術を見せつけることにあった。はじめからわかっていたことであるが、彼は自身の力量を知らずにでたらめなことを考えているのだ、かわいそうなことである。ごくわずかであっても彼が物事の本質に迫る深淵な話をすることはなかった。まるで田舎の村人が、都会においては不器量の女性を誇り、彼女の若い時分の容姿を語るようなもので、少しも恥じることがない。

It was his intention to show his academic technique. I understood that from the beginning, he made delusions without knowing his ability. He is to be pitied. he has never told a significant thing.  He was like the remote place villager that is proud of a ugly woman in the city and talks about her figure when she was young. he was not ashamed at all.


妙蓮『蓬折箴』7

2016.10.06 22:00|妙蓮『蓬折箴』
余、紹定間、退自三山叨濫湖心座司、一日忽來相、訪袖出所撰文藁一卷、口謂求證、

余、紹定の間、三山自り退き、湖心の座司を叨濫す。一日、忽ちに來りて相い訪ね、袖より撰する所の文藁一卷を出し、口謂に證を求む、

注1 紹定間=紹定年間、1228~1233年
注2 三山=拙庵戒度『阿弥陀経義疏聞持記』の石鼓法久による識語に「余(=法久)、疏を三山慶遠庵に寓((遇カ))す」(『続蔵』22、538頁上)とあるところの「三山慶遠庵」と同じか。ちなみに法久は守一の師である如庵了宏の師であり、また『蓬折箴』の著者妙蓮の師でもある。この法久識語に続く刊記には「大宋國慶元府定海縣太丘鄉安期管三山里居住」ともあることから、普陀山近くの昌国県三山里(現・舟山市の桃花島(桃花鎮)か)と推定される。なお下記参考文献1参照のこと。
注3 叨濫=トウラン?いずれも「みだりに」の意。ここでは湖心広福律寺の座主職に就いた自分自身を謙遜して述べたものか。
注4 湖心=凝然『律宗綱要』によれば、南山宗の系譜は、第十八祖竹渓法政律師、第十九祖石鼓法久律師(?~1217~?)、第二十祖上翁妙蓮律師、第二十一祖石林行居律師と次第するとされており、この四名はいずれも「湖心広福律寺」に住したとされる。すなわちここの「湖心」は「湖心広福律寺」のことであろう。
注5 座司=「座」は「首座」の意か。『禅学大辞典』によれば、「首座(シュソ)は、衆僧中の首位に坐る者の意。古くは六頭首の一であったが、のちには九旬安居の一会の期間、僧中で上首に位する役名を指すようになったという。俊芿『殿堂房寮色目』(1220年成立)の「首座寮」項には「右、長老を除く外、衆首を為すことを任ずるの居処なり、首座の位は衆僧の首に居して、長老に代わりて衆の為に開導する者なり」とある(下記参考文献2、p.395)。以上のような情報から、妙蓮は衆僧中の上首で、長老に代わって僧衆を開導する立場にあったものと考えられる。また「司」は、同書の「賓司」が「知客之居處」、「堂司」が「維那之居處」とされていることから、特定の役職名が上に付き、その役職僧の住居の意味を有するものと考えられる。すなわち「座司」は、首座の住居、ほどの意か。なお下記参考文献1参照のこと。
注6 文藁=ブンコウ。下書き原稿のようなものか。

私(妙蓮)は、紹定年間(1228~1233)に三山から退き、僭越ながら湖心広福律寺の首座職の住居を汚すこととなった。ある日(守一が)突然私を訪ねてきた。彼は袖口から自身の著作の下敷きを出し、私に口頭での回答を求めたのであった。

After having resigned from sānshān三山 during the shàodìng紹定 period (1228-1233), I got a job of shŏuzuò首座(the teacher priest of monk) of the guǎngfúlǜsì-temple広福律寺 in húxīn湖心. One day, he visited me unexpectedly. He deliberately pulled his draft of the writing out of his pocket (kimono sleeve) and demanded the oral answer to it from me.

〈参考文献〉
1.西谷功「滄州と入宋僧―南宋代における一律院の所在とその宗教的空間―」(『二〇一二年度早稲田大学総合研究機構プロジェクト研究』第八号、2013)
2.小川貫弌・土橋秀高校訂「俊芿律師遺文」(石田充之編『鎌倉仏教成立の研究 俊芿律師』法蔵館、1972)


妙蓮『蓬折箴』6

2016.10.05 22:00|妙蓮『蓬折箴』
若較之於祖道、未甞染指名叨位者、彼亦粗有取焉

若し祖道に於いてこれを較べれば、未だ甞つて染指せず。名を叨(ひたた)き位を叨く者、彼も亦た粗ぼ取ること有るか。

注1:祖道=祖師の説いた教え。ここでは南山宗祖道宣の思想というよりは、南山宗の先輩たちが守ってきた教え、とするべきか。前述の「祖教」と同意とみる。
注2:染指(センシ)=手を出す、手をつける。どちらかというと悪いことに手を染める、手を出すという意のようである。
注3:叨(タウ・トウ)=むさぼる。みだりにする。かたじけなうする。たまはる。「叨名」は名を叨く(ひたた・く)と読み下した。みだりに名声を受く、といったところか。「叨位」もまた同様に、みだりに地位を得る、と訳した。
注4:彼亦粗有取焉=意味を取りづらい。彼もまたそのようなことをしていた、というほどの意味に訳した。

もし(守一の主張を)南山宗義に照らし合わせてみたならば、未だかつて(南山宗義が、守一の主張するような義に)手を染めたことはない(ことがわかるであろう)。みだりに名声を得て、地位を得る者がいるが、守一もまたそのような者であった。

In comparison with the Nanshan's traditional teaching, everyone will know that Nanshan sect still has never had a idea same as his claim. There is a person with fame and a position without a reason. He is such a person too.


妙蓮『蓬折箴』5

2016.10.04 22:00|妙蓮『蓬折箴』
惜乎、曾未經遠、勃興慢習、初無正傳、唯自師心、妄生穿鑿戕賊祖教、傍若無人、規攝愚徒、斐然著撰、甚多紕繆、略不缺疑、

惜しいかな、曾つて未だ遠くを経ずして、慢習を勃興す。初めに正伝無し、唯だ自ら心を師とす。妄りに穿鑿を生じ、祖教を戕賊すること、傍若無人なり。愚徒を規摂するには、斐然著撰なるも、甚だ紕繆多く、略(ほぼ)疑いを欠かず。

注1:曾未經遠=意味を取りづらい。長く学ばないうちに、というほどの意味か。
注2:穿鑿(センサク)=細かいところまで根掘り葉掘り知ろうとすること。むやみに憶測してとやかく言うこと。
注3:戕賊(ショウゾク)=傷つけて殺すこと。そこない傷つけること。
注4:傍若無人(ボウジャクブジン)=人のことなどまるで気にかけず、自分勝手にふるまうこと。
注5:斐然(ハイゼン)=目を見張る才があること。多く四字熟語に使われる。「斐然成章」で文学の才能がすばらしい、「成績斐然」で成績が著しい、など。よって「斐然著撰」は著述の才能が顕著であること、というほどに訳した。

残念なことに、彼(守一)は充分に学んでいないにもかかわらず、尊大な態度をとるようになった。彼は最初から正しい伝統を持たず、ただ自ら思うところだけを師とした。むやみやたらに憶測で物を言って、祖師の教えを傷つけ殺す様は、まさに傍若無人であった。蒙昧の者を集める著述の才能には目を見張るものがあるが、果たしてその内容には非常に誤りが多く、およそ疑問を抱かずにはいられない。

I'm sorry for what he became to take arrogant attitudes in spite of his poor learning. He downplayed the tradition from a beginning and assumed only his theory his teacher. He hurt and destroyed the Nanshan's traditional teaching by talking for excessive suppositions. His behavior was outrages. He has natural talent to write the book which attract fools. However, There are a great many errors in his book. I cannot help having many questions.




妙蓮『蓬折箴』4

2016.10.03 16:56|妙蓮『蓬折箴』
余、雖知彼天性、且爾品可住、其勤使學、而知之、

余、彼の天性を知り難く、且らく爾の品住すべし。其れ勤めて学ばしめて、これを知る。

注1 且爾品可住=意味を取りづらい。ここでは妙蓮が守一の本性を知らなかったがために、しばらくそのままにしていた(注意するようなことはなかった)、というほどの意味に訳した。

私(妙蓮)は、彼(守一)の本性を知ることができず、しばらくそのままにしていた。しかし守一を指導するうちに、彼の本性を知ることになったのである。

Because I was not able to know his true character, I left him as he was. While I instructed him, I would know his true character.


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