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智積院新文庫聖教にみる十五〜十六世紀の戒律研究について

2016.11.11 00:00|論文紹介
印度學佛教學研究 60(2), 706-711, 2012-03-20
智積院新文庫に集積されている聖教調査の成果の一部。智積院新文庫の戒律関係聖教類は、①家原寺、②海住山寺、③泉涌寺の関係筋から集められている。これら寺院における戒律研究の蓄積が、後世、戒律復興運動を引き起こす下地となったことを示唆した。
icon_1r_64.png Cinii PDF - オープンアクセス

妙蓮『蓬折箴』23

2016.11.10 00:00|妙蓮『蓬折箴』
業疏圓宗戒體章、敘述次第、無不明、故云、智知、境緣本是心作、不妄緣境、但唯一識、隨緣轉變、有彼有此(文)、此是先示境緣、令開大解、(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁中/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁上~中)

『業疏』圓宗戒體章の中に、叙述次第して、明顕ならざること無し。故に文に云う、「智は知んぬ、境緣本と是れ心作なるを。妄じて境を縁ぜず。但だ唯一識、縁に隨いて轉變して、彼れ有り此れ有り」と(文)。此れは是れ先に境緣を示して、大解を開かしめんとす。

注1:業疏円宗戒体章=道宣『四分律羯磨疏』(以下『業疏』)の「後約圓教明戒體者」以下の文を指すものと考えられる。現在『業疏』の活字テキストは、随文解釈の疏である、元照『四分律羯磨疏済縁記』(以下『済縁記』)の中に引用されるもののみ。しかしこれによって全文を知ることが可能である。「後約圓教明戒體者」以下の文は、『済縁記』三之五、『続蔵』41、256頁下以降。
注2:中=『蓬折直弁』には「中」の字無し。
注3:顕=『蓬折直弁』には「題」の字に作る。
注4:文=『蓬折直弁』には「文」の字無し。
注5:文云=以下の文は道宣『業疏』の文(『済縁記』『続蔵』41、257頁下)。なお同じ文章が元照『四分律行事鈔資持記』にも「業疏云」として引用されており(『大正』40、270頁中)、北宋代南山宗においてこの文章が重視された形跡がある。
注6:境縁本是心作=ここでの「心」は「智(=仏智?)」が知るところの「心」であり、また後にも「唯一識」とあるから、たとえば『大乗起信論』でいうところの「一心」などと同義とみてよいか。ちなみに「一心」は衆生の根底にある一心識を指し、これが宇宙の事象の基本にある絶対的な真実と通底しているとみる。
注7:随縁転変=ズイエンテンペン。原因にしたがって変化すること。
注6:此是=『蓬折箴』には「此是」の二字は無いが、意味を鮮明化させるために『蓬折直弁』にしたがって改めた。おそらく『蓬折直弁』を再治して『蓬折箴』にする際、四字に揃えて省略されたのであろう。

『業疏』の円宗戒体章には、順序よく述べられていて不明な点がない。『業疏』には次のようにある、「仏の智慧から見たならば、認識対象はもともと自分の心が作り出したものである。しかし煩悩によって対象を認識することはない。万有の実体真如に通じた自身の心が、縁に触れて変化し、あれもこれもを生じさせているのである」と。この文章は、まず認識対象を示すことで、大乗の真理を了解させようとしたものである。

The chapter of yuánzōngjiètǐ円宗戒体 of "sìfēnlǜjiémóshū四分律羯磨疏" has good order, and all is written all about. "sìfēnlǜjiémóshū四分律羯磨疏" say "if looked from wisdom of Buddha, originally one's heart created the recognition objects. However, you do not recognize objects by worldly desires. Because your heart is common to the absolute. And that heart creates according to a cause both this and that."This sentence shows a recognition object at first. This is going to let you understand truth of Mahayana.




妙蓮『蓬折箴』22

2016.11.09 17:57|妙蓮『蓬折箴』

盡用圓實大教、受聲聞小戒、不分分、即權取實、始終一貫、令成究竟、(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁中/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁上)


圓實の大乗教を尽くし用いて、聲聞小戒を受く。分けずして分かつなり。権に即して実を取るなり。始終一貫して、究竟を成ぜしめん。


注1:乗=『蓬折直弁』には「乗」の字無し。

注2:円実大乗教=まどかなる真実の大乗の教え。

注3:而=『蓬折箴』は「両」の字に作るが、文意から『蓬折直弁』にしたがって「而」に改めた。

注4:即権取実=権教(方便教)に即して実教(真実教)を得ること。

注5:究竟=さとりをきわめること。


まどかなる真実の大乗の教えを了解し実践しながら、小乗声聞の律を受けるのである。両者は而二不二の関係にある。方便教によって真実教を得るのである。始終一貫して、さとりをきわめさせようとしているのである。


We understand and practice true Mahayana teaching, and receive the vinaya of Śrāvaka. They are two sides of the same coin. We get true teaching by Upāya teaching. All the time throughout, Dàoxuān道宣 is going to let you be full of spiritual awakening.





妙蓮『蓬折箴』21

2016.11.08 16:51|妙蓮『蓬折箴』

所以疏鈔兩文、開大乘解、緣法界境、發上品心、納善種體、起菩薩行、趣涅槃果、(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁中/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁上)


所以に『疏』『鈔』兩文は、大乘の解を開きて、法界の境を縁じ、上品心を発して、善種の體を納め、菩薩行を起こし、涅槃果に趣く。


注1:疏鈔兩文=「疏」は道宣『四分律羯磨疏』、「鈔」は同じく道宣『四分律行事鈔』をそれぞれに指す。あるいは「文」字の後には「云」などの字が挿入されるべきか。

注2:開大乗解=大乗の真理をぱっと了解すること。

注3:縁法界境=真理そのものを認識の対象として知覚すること。

注4:発上品心=最上の心をおこすこと。道宣は受戒時に上品心をおこすことで、戒体を得ることができると考えた。

注5:納善種体=善なる種子戒体が心に納まること。律宗において円教宗の戒体理解は種子戒体説であるとされる(元照『四分律行事鈔資持記』巻上―上、『大正』巻4、157頁中)

注6:趣涅槃果=涅槃という仏果に趣くこと。


だから道宣は『四分律羯磨疏』『四分律行事鈔』の両書において、大乗の真理を了解して、真理を認知すること、最上の菩提心をおこして、種子戒体を得ること、菩薩行を修して、涅槃に趣くことなどを記すのである。


Therefore "Sìfēnlǜjiémóshū四分律羯磨疏" and "Sìfēnlǜhángshìchāo四分律行事鈔" says "Understanding truth of Mahayana, and recognizing truth", "Raising the best aspiration for Buddhahood, and getting bīja as the true nature of the vinaya", and "Keeping a Bodhisattva line, and proceeding to the Buddha".







妙蓮『蓬折箴』20

2016.11.07 22:02|妙蓮『蓬折箴』
大小雖殊、律儀不異、會同三聚、圓契一乘、為道受隨、非同世善(『蓬折箴』、『続蔵』60、80頁中/『蓬折直弁』、『続蔵』60、

大小殊なりと雖も、律儀は異ならず。三聚に会同し、一乘に円契す。道の為に受隨す、世善と同ずには非ず。

注1:大小=大乗と小乗。
注2:律儀=リツギ。生活上守るべき戒め、仏教教団の生活規則や作法の法則を指す。
注3:会同=エドウ。すべての教えを同一趣旨に帰せしめること。
注4:三聚=サンジュ。三聚浄戒。摂律儀戒・摂善法戒・饒益有情戒の三。
注5:円契=エンカイ。まどかにかなうこと。
注6:一乗=イチジョウ。仏教の種々の教えはそれぞれブッダが人々を導くために方便として説いたもので、実は唯一の真実の教えがあるのみだ、という主張。それによっていかなる衆生もすべて一様に仏になることが説かれる。
注7:為道受隨、非同世善=『蓬折直弁』にはこれらの文は無し。
注8:道=ドウ。仏道、さとりへの道。またさとり。
注9:受随=ジュズイ。「受」は比丘が受戒して戒を身にそなえることを指し、「随」はその戒にしたがって如法に戒行を修することを指す。受戒と随行。
注10:世善=セゼン。世間的な善。世間一般の道徳。

大乗・小乗の違いがあるとはいえども、守るべき戒は同じである。律儀は三聚浄戒に帰一し、一乗の教えにかなっている。仏道を歩むために受戒し、これを遵守するのである。世間一般の道徳とは異なる。

Mahayana and Hinayana are different, but vinaya is one. The vinaya is united into one in sānjùjìngjiè三聚浄戒, and fits yīchéng一乗. The reason why I receive vinaya and observe it is that I walk way to Buddha. It is different from the morality of the world public.



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