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妙蓮『蓬折箴』33

2016.11.25 00:00|妙蓮『蓬折箴』
『羯磨經』引『薩婆多論』、為正教量、『論』云、「凡欲受戒、先說法、開導令於一切境、起慈心、便得增上戒」、『業疏』云「此之戒法、出家本務、素非懷大、定難容納、有由矣」(文)
(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁下/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁中)

故に『羯磨経』に『薩婆多論』を引きて、正教量と為す。『論』に云う、「凡そ受戒せんと欲すれば、先ず說法を与えて引導開解し、一切境の上に於いて、慈悲心を起こさしめ、便ち增上戒を得せしめん」と。『業疏』に云う、「此の戒法は、出家の本務なり。素より大を懐くに非ず。定めて容納し難し。深く由有り」と。文

注1:羯磨経=おそらく道宣『四分律刪補隨機羯磨』(以下『四分律羯磨』)を指す。
注2:薩婆多論=説一切有部の律に関する注釈書で、一般には失訳『薩婆多毘尼毘婆沙』を指すようであるが、該当の文章は見当たらない。中国南山宗と、その系譜を受けた日本仏教界においては、別訳か、あるいは全く別の『薩婆多論』が存在していた可能性が高い。
注3:正教量=『蓬折箴』には「正量教」と作るが、『蓬折直弁』の記述により、文意から「正教量」へと改めた。正教量は、信頼されるべき権威のことを意味する。
注4:凡欲受戒~増上戒=道宣集『四分律羯磨』の受戒法を説く中に「薩婆多論云」として引用されている箇所(『大正』40、497頁下)。具体的には以下。
二に正授戒體法、(『薩婆多論』に云う、「凡そ戒を受けんと欲すれば、先ず說法を与えて引導開解し、一切境の上に於いて、慈悲心を起こさしめ、便ち增上戒を得せしめん。應に彼に語りて言う、〈六道眾生は多く是れ戒障なり。唯だ人のみ得受するも、猶し遮難を含み、必ずしも並に堪えず。汝遮難無し、定んで受戒を得。汝當に文に依りて增上心を発すべし。所謂一切眾生を摂し救い、法を以て彼を度す。又た戒は是れ諸善の根本なり。能く三乘の正因と作す。又た戒は是れ佛法中の寶なり。餘道に無き所なり。又た能く佛法を護持し、正法久住せしむ。又た羯磨の威勢は眾僧の大力なり。能く法界勝法を挙げて、汝の身心中に置く。汝當に一心に諦らかに受すべし〉と、應に白して言さくなり」と。)
注5:与=『蓬折箴』には「為」の字に作り、『蓬折直弁』には「興」の字に作る。この箇所は上記(注4)のとおり、道宣集『四分律羯磨』からの引用分であるから、『四分律羯磨』本文により、「与」の字に改めた。
注6:上=『蓬折箴』には「上」の字が無いが、『四分律羯磨』本文、ならびに『蓬折直弁』本文により、「上」の字を補った。
注7:悲=『蓬折直弁』には「愍」の字に作る。
注8:増上戒=ぞうじょうかい。増上は力強いの意。優れた修道である戒をいう。
注8:此之戒法~除有由矣=道宣『業疏』の文章(『続蔵』巻41、241頁下)。具体的には以下。
多論の證を引くは、是れ正量なり。凡愚智淺、何んぞ能く知を生ぜん。自ら學久しからず、誨を卒しても猶お暗し。此の戒法は、出家の本務なり。素より大を懐くに非ず。定めて容納し難し。深く由有り。
注9:深=『蓬折箴』には「除」の字に作るが、この箇所は上記(注8)のとおり、道宣『業疏』からの引用であるから、『業疏』本文、ならびに『蓬折直弁』本文により、「深」の字に改めた。

だから『四分律羯磨』には、『薩婆多論』が信頼されるべき教えであるとして引用されるのである。『薩婆多論』には、「一般に受戒しようと思ったならば、まず仏法を説いて、彼らを仏法に引導し、理解させなければならない。認識されるすべてに対して慈悲心を起こさせて、戒を受得させるべきである」とある。またこの文を解釈して、道宣は『業疏』中に「この戒法は、出家の本分である。皆、最初から大乗の心をもつわけではないから、それを持つのは難しい。そういうわけで、受戒前に大乗の気持ちを起こさせるのである」と言っている。

So "Sìfēnlǜjiémó四分律羯磨" quotes "Sàpóduōlún薩婆多論" as a reliable authority. "Sàpóduōlún薩婆多論" says, "Generally, it is nesesary for new priest to be teached the Buddhism and to be led and to be understood. They have to have compassion for everything they recognize. Then they should receive the vinaya." In interpreting this sentence, Dàoxuān道宣 says in "Sìfēnlǜjiémóshū四分律羯磨疏" "This command is the most important item of the bhikşu比丘(出家者), but not everyone has a Mahayana heart from the beginning, it is difficult to have it. There is a reason."

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妙蓮『蓬折箴』32

2016.11.24 21:35|妙蓮『蓬折箴』
故『濟緣』云、「今此直以大乘圓義、以決前體」、(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁下/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁中)

故に『済縁』に云う、「今此れ直に大乗円義を以て、以て決前の体とす」と。

注1:今此直以大乘圓義以決前體=元照『四分律羯磨疏済縁記』の文章(『続蔵』41、257頁中)。
注2:決前体=「決前」を決定思と解釈した。唯識教学においては、思考のはたらきを三段階に分類し、(1)審慮思(しんりょし):なすべきか否かを思惟する段階、(2)決定思(けつじょうし):なすべきことを決意する段階、(3)動発勝思(どうはつしょうし):思いに応じて身口をはたらかせる段階、とする。これ以前の文脈上では、受戒の作法前に、大乗の心構えを持つべきことが説かれているので、受戒作法時(動発勝思によって身口を動かして作法を行う)以前の思の本体(種子)について述べたものと解釈した。

だから、元照の『済縁記』には、「まさに大乗の円かなる義を、そのままに受戒前の思の本体とするのである」と説かれているのである。

So, Yuánzhào元照's "Sìfēnlǜjiémúshūjìyuánjì四分律羯磨疏済縁記" is said to "make Mahayana's full significance the main body of intention before receive the vinaya."

妙蓮『蓬折箴』31

2016.11.23 19:58|妙蓮『蓬折箴』
此之二部、所明大乘因果、皆是三誓、而納具戒、所發無作、業體中具、依修行、今文決(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁下/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁中)

此の二部に明らかにする所の大乗の因果は、皆な是れ三誓して、具戒を納め、所発の無作を、業体中に具し、修行に依らしめんこと、今の文は決して顕かすなり。

注1:此之二部=『業疏』と『行事鈔』の両文を指す。
注2:三誓=受戒において三聚浄戒の受持を誓うこと。本来『四分律』に基づく受戒には、三聚浄戒の受持を誓うことは必要とされていない。「三誓」することで「具戒を納め」るという記述から、南宋期の受戒方法が、すでに受菩薩戒儀の影響を受けたものに変容していた可能性が示唆される。
注3:具戒=具足戒
注4:無作=むさ。無表とも。唯識教学において、表面に現れない業のことを指す。受戒行儀の身口意の三業による所作により、その行為の余勢が心中に物質的なものとして蓄積されると考えられており、表面上には知られることのない、その行為の余勢を無作・無表と呼称する。一種の戒体(戒の本体)として説明される。
注5:業体=ごったい。業性とも。業の本体のこと。小乗では表無表色の色法を指すが、おそらくここでは種子を指しているものと考えられる。
注6:令=『蓬折直弁』には「今」の字に作る。
注7:顕=『蓬折直弁』には「題」の字に作る。

道宣著作の『業疏』と『行事鈔』の二部に明らかにされている大乗の因果は、いずれも受戒時に三聚浄戒の受持を誓うことで具足戒を得て、その時に発せられる無表業を種子のはたらきとして具えて、その上で修行させて、仏果を得させようとするものである。前に出した文は、そのことを明らかにしたものである。

Causes and results of Mahayana, which are revealed in Dàoxuān's books "Sìfēnlǜjiémóshū" and "Sìfēnlǜhángshìchāo", are as follows. First of all, by vowing to accept the Sānjùjìngjiè三聚浄戒 at the time of the Buddhist confirmation, you get the vinaya. Next, equip the avijňapti無表 that is emitted at that time as the seed種子's function. Based on the above, let's practice. The preceding clarification clarified that fact.


妙蓮『蓬折箴』30

2016.11.22 00:00|妙蓮『蓬折箴』
兩文相照、如合符節、於但三聚、有後受前思之異、自非濟緣、識圓宗遠致、(即問教有分齊等文)、(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁下/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁中)

両文は相い照らして、符節を合するが如し。但だ三聚に於いては、後受・前思の異なり有り。『済縁』の問答に非ざるよりは、誰か円宗の遠致を識るや。(即ち「問う教に分際有り」等の文なり。

注1:如合符節=割り符を合わせるように、完全に一致すること。
注2:於但=『蓬折直弁』では「但於」に作る。
注3:問=『蓬折箴』には「同」の字に作るが、文意から『蓬折直弁』にしたがって「問」の字に改めた。
注4:誰=『蓬折箴』には「雖」の字に作るが、文意から『蓬折直弁』にしたがって「誰」の字に改めた。
注5:即問教有分齊等文=『蓬折箴』にはないが、『蓬折直弁』には補注されているので補った。元照『四分律羯磨疏済縁記』の文(『続蔵』41、259頁下~260頁上)を指す。該当箇所は以下のとおり。
問う、教に分齊有り。何んぞ此の示を須いん。答う、本宗は分通義を成ぜんとするが故なり。何を以て然るべきや。前の『善戒』の如く、五・十・具等、方便として迭す。是の故に五を受けて十を習い、十を受けて具を習い、具を受けて大を習う。故に前び三戒は並びに方便と名づく。假宗の權を知り、方便に住せず、符して深の部意に通じて、大の先容を稟けんとす。所以に『鈔』に敘す、「發心して三聚を成ぜんとす」と。此れ隨行を明かし、次いで三身に対して、願行相い扶くこと、彼れ此れ交映す。彼れ則ち期心の後に受す。此れ乃即(すなわ)ち前修を行ず。方に圓宗を見て、深く來致有り。若し爾らば既に分通を顕す。何んぞ須らく別に立つべきや。答う、義は大に通ずと雖も、教は終に小に局る。濫通すべからざる故に、須らく別に立つべし。意に隨い理を盡くし、宗途を乱さず。請いて觀前に實宗を明かすに、一心の字無く、次に假宗を述ぶに、一種の字無し。始め聖師を見るは、深く權實を体とす。自餘は凡愚なり、未だ擬議に足らざるなり。

『業疏』と『行事鈔』の両文は、割り符を合わせるように一致している。ただ三聚浄戒については、「(律を受けた)後に受ける」のか「(律を受ける)前に思う」のかという異なりがある。元照の『四分律羯磨疏済縁記』に説かれる問答がなければ、誰が円宗の高邁な目標を知ることができようか。

 "Sìfēnlǜjiémóshū四分律羯磨疏" and "Sìfēnlǜhángshìchāo四分律行事鈔" are completely consistent. There are differences in sānjùjìngjiè三聚浄戒. It is the difference whether "I receive that after (received the vinaya)" or "I think that before (receiving the vinaya)". If there is no "Sìfēnlǜjiémúshūjìyuánjì四分律羯磨疏済縁記" written by Yuánzhào元照, who can know the high goal of Yuánzōng円宗?



妙蓮『蓬折箴』29

2016.11.21 13:35|妙蓮『蓬折箴』
同鈔、為成三聚戒故。趣三解脫、求泥洹、又以此法、引導眾生等、(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁下/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁中)

同じく『鈔』には、「三聚戒を成ぜんが為めの故なり。三解脫に趣き、泥洹果を求めん。又た此の法を以て、眾生を引導せよ」とあり。

注1:為成三聚戒~引導衆生=『行事鈔』にある言葉(『大正』40、26頁上)で、受戒時の受者の発声「我今発心受戒」の説明文。『行事鈔』本文は、妙蓮『蓬折箴』26を参照のこと。
注2:三聚戒=三聚浄戒(さんじゅじょうかい)。『梵網経』『瓔珞経』などに基づき、大乗独自の戒蔵として「摂律儀戒」「摂善法戒」「摂衆生戒」の三戒を総称する場合と、『菩薩持地経』『瑜伽論』などに基づき、律蔵を加味した通三乗の戒蔵として「摂律儀戒」「摂善法戒」「饒益有情戒」の三戒を総称する場合とで、解釈が異なる。両者の違いを単純化して説けば、「摂律儀戒」に小乗部派の律蔵を収めるか否かという点に集約される。すなわち『菩薩持地経』『瑜伽師地論』などでは、小乗部派の律蔵をまずは受得した上に、「摂善法戒」(一切の善を悉く修す修善門)、「饒益有情戒」(衆生にあまねく利益を施す勘善門)を加上すると考える。両者の理解の相違は、日本においては、前者が叡山円頓戒、後者が南都律宗の戒律に対する考え方の相違として生成された。南山律宗の基本的立場にある妙蓮は、『菩薩持地経』『瑜伽論』の所説に立つものと考えられる。
注3:三解脱=三解脱門(さんげだつもん)。三空、三三昧とも。さとりに通じるための三種の禅定法のことで、(1)空解脱門、存在の空を観じること、(2)無相解脱門、空である故に差別あるすがたを持たないことを観じること、(3)無願解脱門、すべてのものは差別あるすがたをもたない(無相)であるから、願い求めるものなどないことを観じること、の三。
注4:泥洹果=ないおんか。泥洹はニルヴァーナのこと。煩悩の火が吹き消されたさとりの境地。涅槃。三解脱門という因によって、涅槃という果を得ることを指す。
注5:果=『蓬折直弁』は、「果」の下に「等」を付す。

前に挙げた『業疏』の文(妙蓮『蓬折箴』28)と同様のことが、『行事鈔』にも述べられている。「(受戒時の「私は今心を発し受戒します」の発声は)三聚浄戒を成就するためのものである。あなたは三解脱門の禅定によって、涅槃という果を求めなさい。そしてこの方法で生きとし生けるものを仏の道に引き入れなさい」と。(これは受戒を機縁として成仏を目指すものである)

The same thing as the sentence of "Sìfēnlǜjiémóshū四分律羯磨疏" mentioned above is also mentioned in "Sìfēnlǜhángshìchāo四分律行事鈔". "Sìfēnlǜhángshìchāo四分律行事鈔" say "(The utterance of" I am now converting Buddhahood and receiving the vinaya" at the time of Buddhist confirmation) is to fulfill sānjùjìngjiè三聚浄戒.  You seek the result of nirvana by the zenith of the three escaping gates. And draw this living thing in this way to the way of Buddha. "


妙蓮『蓬折箴』28

2016.11.18 22:16|妙蓮『蓬折箴』
又云、猶有本種心、故力有常、乃至、下云、成化身佛等(文)、明隨行持犯、囑令常思、遠期大乘因果(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁中~下/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁中)

又た云う、「猶し本種有りて心を熏ず、故に力有ること常なり」乃至、下に云う、「化身佛と成す」等と(文)。隨行持犯、囑(たの)んで常に思わしめ、遠く大乘の因果を期すをを明かすなり。

注1:熏=『蓬折箴』には「量」の字に作るが、文意と『業疏』本文から『蓬折直弁』にしたがって改めた。
注2:猶有本種~成化身佛=道宣『四分律羯磨疏』(『業疏』)の以下の文章を短縮化して示したもの。
[0258c19] 由有本種熏心、故力有常、能牽後習、起功用、故於諸過境、能憶、能持、能防、隨心動用、還熏本識、如是展轉、能靜妄源、若不勤察、微縱妄心、還熏本妄、更增深重。

[0259a16] 是故行人、常思此行、即攝律儀、用為法佛清淨心也、以妄覆真、不令明淨、故須修顯、名法身佛。

[0259b17] 以妄覆真、絕於智用、故勤觀察、大智由生、即攝善法、名報身佛。

[0259b22] 以妄覆真、妄緣憎愛、故有彼我、生死輪轉、今返妄源、知生心起、不妄違惱、將護前生、是則名為攝眾生戒、生通無量、心護亦爾、能熏藏本、為化身佛、隨彼心起、無往不應、猶如水月、任機大小。(元照『四分律羯磨疏済縁記』に引用されているので、『続蔵』41の該当箇所を飛び石的に摘要)

本種有るに由りて心を熏ず、故に力有ること常なり。能く後の習を牽き、功用を起こす。故に諸の過境に於いて、能く憶え、能く持し、能く防ぎ、心に随いて用を動し、還って本識を熏ず。是くの如く展轉し、能く妄源を静す。若し勤めて察せざれば、微縱の妄心、還って本妄を熏じ、更に深重を増す。

是の故に行人、常に此の行を思え。即ち攝律儀、用は法佛清淨心と為るなり。妄を以て真を覆せば、明淨ならしめず。故に須らく修顯すべきを、法身佛と名づく。

妄を以て真を覆せば、智用を絶す。故に勤めて觀察すれば、大智生ずるに由る。即ち攝善法、報身佛と名づく。

妄を以て真を覆せば、妄じて憎愛を縁ず。故に彼・我、生死の輪轉有り。今妄源を返し、心起を生ずることを知れば、違惱を妄ぜず。將に前生を護るべし。是れ則ち名けて攝眾生戒と為す。生は無量に通ず。心護も亦た爾り。能く藏本を熏ずを、化身佛と為す。彼に随いて心起し、應ぜざるに住むすこと無かれ。猶し水月の如く、機の大小に任せよ。

注3:本種=ホンジュ。本蔵識(阿頼耶識)におさめられた種子のこと。
注4:随行持犯=ズイギョウジホン。戒行にしたがって、戒をたもつこと。

また『業疏』に述べられている「阿頼耶識におさめられた種子が心を熏習するので、その力はずっと存在し続ける」から「化身仏となす」の一連の文章は、戒行にしたがい、戒をたもつことを、常に考えさせることで、その先の大乗の因果に目当てをつけることを明らかにしたものである。

"Sìfēnlǜjiémóshū四分律羯磨疏" has a sentence  from "a seed in alaya-vijnana (store consciousness、consciousness forming the base of all human existence) smoking your heart, therefore the power The continues” to "be a incarnations of Buddhist". That sentence means you are guided to cause and effect of Mahayana because you focus your attention on the action of steadfastly keeping Buddha's commandments(戒). 




妙蓮『蓬折箴』27

2016.11.17 22:40|妙蓮『蓬折箴』
又用、未受前、惡法界、今欲進受、翻前惡境、並起善心、故戒發所因、還法界(文)(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁中/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁中)

又た用う、「未だ受戒せざる前には、惡、法界に遍ず。今進受して、前の惡境を翻じ、並びに善心を起こさんと欲す。故に戒發の因とする所、還って法界に遍ず」と(文)。

注1:又用=『蓬折直弁』では「更司文同」と作る。「又」は道宣『行事鈔』を指す。
注2:「未受戒前」以降「還遍法界」までの文は、『行事鈔』の文章(『大正』40、25頁下)である。
注3:戒=『蓬折直弁』では「以」の字に作る。
注4:遍=『蓬折直弁』では「徧」の字に作る。注3:悪遍法界=「法界」は真理の世界の意味であるから、本来法界に「悪」はないはずである。この文は、真理の世界にありながら、自らの煩悩のために、そこに悪を見てしまうことを述べたものと解釈できる。
注5:進受=シンジュ。受戒すること。
注6:翻前惡境、並起善心=「悪境」は悪なる認識対象のことであるが、対象を悪と認識するのは、自らの心が煩悩に纏われているからである。すなわちこの一連の文は、受戒以前の悪心を回心させ、かえって善心をおこすこと、の意味と解釈できる。
注7:戒発所因=「戒発」は戒体発得の意。文意から戒体発得の因となるものは自身の「心」である。

また『行事鈔』には次のようにも説明されている。「受戒前には自身の煩悩のために、本来真理の世界であるこの世界に悪が存在しているかのように認識してしまう。今受戒して、受戒以前の悪心を回心させ、かえって善心を起こそうとするのである。だから戒体発得の因となる心が、そのまま真理の世界に遍く広がるのである。

"Sìfēnlǜhángshìchāo四分律行事鈔" say "before the Buddhist confirmation, though this world is originally the true world, I recognize that evil rises. Now, I convert former evil thought into the highest Buddhahood on receiving Buddhist confirmation. Therefore my heart to contribute to get the essence of vinaya (kaitai戒体) just spreads through the the truth world widely.




妙蓮『蓬折箴』26

2016.11.16 22:04|妙蓮『蓬折箴』
疏文同鈔、我今發心受戒一句、又用、以此要期之心、與彼妙法相應、於彼法上、有緣起之義、領納在心、名為戒體、(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁中/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁中)

『疏』文は『鈔』に同じ。「我れ今発心受戒す」の一句、又た用う、「此の要期の心を以て、彼の妙法と相応す。彼の法の上に於いて、縁起の義有り。在心を領納するを、名づけて戒体と為す」と。

注1:疏文=『蓬折箴』にはこの二字無し。しかし文意を明確にするため、『蓬折直弁』の本文から補った。「疏文」は以上に引用されていた、道宣『四分律羯磨疏』(以下『業疏』)の文章を指す。
注2:鈔=道宣『四分律行事鈔』(以下『行事鈔』)を指す。
注3:我今発心受戒=『行事鈔』にある言葉(『大正』40、26頁上)で、受戒時の受者の発声として紹介される。『行事鈔』では次のように説明される。
云何んが上品なるや。若し「我れ今發心受戒す」と言うは、三聚戒を成ぜんが為めの故なり。三解脫門に趣き、正しく泥洹果を求めん。又た此の法を以て眾生を引導し、涅槃に至らしめ、法を久住せしめん。此くの如き發心も尚お是れ邪想なり。況んや發せざれば、定んで尊尚無し。
注4:又用以此要期之心與彼妙法相應於彼法上有緣起之義領納在心名為戒體=『蓬折直弁』にはこの三十一字無し。また「以此要期」以降の文は『行事鈔』の文章(『大正』40、4頁下)である。『蓬折箴』には出だしが「以已要期」となっているが、意味上から特に『蓬折箴』が『行事鈔』の文を改めたとも思えないことから、誤写とみて「以此要期」と改めた。
注5:要期=ヨウキ。訳しづらい言葉ではあるが、その時とか該当する時期とかいう意味に訳せそうである。
注6:相応=ソウオウ。たがいに結びついていること。
注7:縁起=エンギ。因と縁とによって現象世界の万物が生じ起こり、また変化すること。ここではそれが「彼の法(真実世界)の上」にあるということであるから、真如がそのまま現象世界に生起する真如縁起を述べたものと考えられる。あるいは道宣はそれを意図していないかもしれないが、妙蓮はそのようなことを述べる意図をもってこの文章を引用しているものと考えられる。
注6:在心=ザイシン。自分のこころがけのこと。

道宣著作の『行事鈔』にも、以上に挙げた『業疏』と同様のことが述べられている。「私は今心を発し受戒します」の一句については、「この受戒時の心が、彼の真実世界と互いに結びついているのである。彼の真実世界の上に縁起世界があるのだ。真実世界と結びついた決意の心を持つことを、戒体というのである」と説明される。

"Sìfēnlǜhángshìchāo 四分律行事鈔 "is similar to "Sìfēnlǜjiémóshū 四分律羯磨疏". Dàoxuān道宣 illustrates by "Sìfēnlǜhángshìchāo 四分律行事鈔 "about declaring at the time of Buddhist confirmation, "Now, I utter aspiration for Buddhahood and receive the vinaya" as follows". This heart at the time of Buddhist confirmation is tied to That truth world (Tathata) each other. This phenomenon world by The Engi縁起 is established assuming that truth world.
This heart tied to that true world is called the essence of vinaya (kaitai戒体)".



妙蓮『蓬折箴』25

2016.11.15 22:25|妙蓮『蓬折箴』
又云、於本藏識、成善種子、此戒體也(文)、此是正示圓宗所發戒體、已上、(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁中/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁中)

又た云う、「本藏識に於いて、善種子を成す。此れ戒體なり」と(文)。此れは是れ正しく圓宗所發の戒體を示す。已上。

注1:又云=以下の文は道宣『業疏』の文(『済縁記』『続蔵』41、258頁上)。前からの続きの文章である。なお同じ文章が元照『四分律行事鈔資持記』にも「業疏云」として引用されており(『大正』40、270頁中)、北宋代南山宗資持家(以下注6参照)において一連の文章が重視された形跡がある。
注2:本蔵識=ホンゾウジキ。阿頼耶識のこと。唯識教学では人間の認識について八識を立てるが、その第八識。人間存在を成立させる根本的な識であり、一切の現象を生じさせる種子を内蔵している。
注3:善種子=ゼンシュウジ。善なる現象を生じさせる阿頼耶識内の種子。
注4:戒体=カイタイ。「体」は物事の本質・本性を意味する。戒体は戒の本質・本性というほどの意であるが、東アジア仏教においてはそれを仏性ともいうべき存在であると解釈を行う。
注5:此是=『蓬折箴』には「此是」の二字は無いが、意味を鮮明化させるために『蓬折直弁』にしたがって改めた。おそらく『蓬折直弁』を再治して『蓬折箴』にする際、四字に揃えて省略されたのであろう。
注6:円宗=エンシュウ。南山宗では、宗祖道宣が立てたとされる「実法宗」「仮名宗」「円教宗」の三宗の教判(『四分律羯磨疏』)を採用する。「円宗」はこのうちの「円教宗」を指すものであろう。南山宗は北宋代に允堪(1005~1061)の主張を中心とした「会正家」と、元照(1048~1116)の主張を中心とした「資持家」に二分するが、元照は「円教宗」の立場を法華開顕の立場とみる。すなわち天台宗では釈尊一代の教説を五時に分類し、釈尊は最終的に『法華経』を説いた時、それまでの教え(爾前教)が方便であり、一乗の教えこそが真実であったことを明らかにしたとされるが、元照はこの天台宗の考えを南山宗にも適用し、「円教宗」=円宗の立場もまた一乗真実の立場であるとみる。『蓬折箴』著者の妙蓮も、対論者の守一も、いずれも元照教学を継ぐ資持家である。

また『業疏』には次のようにも言っている。「阿頼耶識に善種子を成立させるものが、戒体である」と。これはまさしく円宗における戒体を示したものである。

"sìfēnlǜjiémóshū四分律羯磨疏" say "the essence of vinaya makes to be produced a good seed in alaya-vijnana (store consciousness、consciousness forming the base of all human existence)". This sentence shows the essence of vinaya in the yuánzōng円宗.




妙蓮『蓬折箴』24

2016.11.14 20:08|妙蓮『蓬折箴』
又云、欲了妄情、須知妄業、故作法受、還妄心(文)、此是依解緣境、發心受戒、(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁中/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁中)

又た云う、「妄情を了せんと欲すれば、須らく妄業を知るべし。故に作法して受し、還って妄心を熏ず」と(文)。此れは是れ緣境を解すに依り、發心受戒すとす。

注1:又云=以下の文は道宣『業疏』の文(『済縁記』『続蔵』41、258頁上)。前からの続きの文章である。なお同じ文章が元照『四分律行事鈔資持記』にも「業疏云」として引用されており(『大正』40、270頁中)、北宋代南山宗において一連の文章が重視された形跡がある。
注2:熏=『蓬折直弁』には「重」に作る。
注3:此是=『蓬折箴』には「此是」の二字は無いが、意味を鮮明化させるために『蓬折直弁』にしたがって改めた。おそらく『蓬折直弁』を再治して『蓬折箴』にする際、四字に揃えて省略されたのであろう。

また『業疏』には次のようにも言っている。「誤った心の持ち方をしようと思ったならば、誤った行動を知るべきである。だから作法によって受戒して、かえって誤った心を薫じつけるのである」と。この文章は、発心して受戒することの根拠が、認識対象を理解することにあることを説いたものである。

"sìfēnlǜjiémóshū四分律羯磨疏" say "if you intend to have a wrong heart, you should know the wrong action. Therefore you receive Buddhist confirmation by manners, and you need to be smoking a wrong seed to your alaya-vijnana (store consciousness、consciousness forming the base of all human existence)". This sentence shows you utter aspiration for Buddhahood and receive the vinaya to understand a recognition object.



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