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妙蓮『蓬折箴』38

2016.12.13 22:26|妙蓮『蓬折箴』
通將三法、從寬至狹、約心約佛、的揀所觀、尅日成功、豈宜通便是十六觀門、雖本一經、亦非交在觀觀之後、皆結正、(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁下/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁下)

通じて三法を将(ひき)い、寛従り狭に至りて、心に約し仏に約し、的しく所観を揀(えら)びて、日を尅(きざ)みて功を成す。豈に宜しく漫に通ずべきか。便ち是れ十六観門なり。本は一経と雖も、亦た交わりて在るには非ず。観観の後には、皆な邪正を結す。

注1:三法=今の時点では(元照『観経疏』を読んでないので・・・)、具体的に何を指すかは不明。文意からすると、三つの方法、というところだろうか。
注1:尅日=『蓬折箴』には「所觀赴四」と作る。文意から『蓬折直弁』にしたがって改めた。
注2:漫=『蓬折』には「慢」の字に作るが、文意から『蓬折直弁』にしたがって改めた。「漫」は、やたらに、とりとめなく、の意で、「慢」は仏教用語で、自らおごり高ぶることを意味する。
注3:便是=『蓬折箴』には「使見」と作るが、文意から『蓬折直弁』にしたがって改めた。
注4:交在=『蓬折箴』には「文至」と作るが、文意から『蓬折直弁』にしたがって改めた。
注5:邪=『蓬折箴』には「部」と作るが、文意から『蓬折直弁』にしたがって改めた。

三つの方法を使って、大から小へと観察対象を狭めていき、心を対象とし、心の中の仏を対象として、というように、観察対象を選定しながら、日数を経て、観法を完成させるのである。どうしてみだりに他の思念に通じるようなことがあろうか。このように十六観門は、『観無量寿経』一経のみに説かれているとはいえ、やはり観察対象がいくつかに交わることはない。一つ一つを観察した後に、修した者すべての邪・正が結実する。

Three methods are used to narrow down the observation from large to small. You select objects to observe, such as targeting the mind first, then Buddha in the mind, and so on, you will finish the observation through days. There is no such thing as entering other thoughts. This observation (16 views十六観門) is explained only by "Guānwúliàngshòujīng観無量寿経", but it can also lead to undisciplined observation on sutra. After the observation, you can understand each of good and evil of each of those who studied.





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妙蓮『蓬折箴』37

2016.12.12 22:58|妙蓮『蓬折箴』
又復須知、修觀之法、的指一境、不容異念、如記主觀經新疏、(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁下/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁下)

又復(また)須く知るべし。修観の法、的(まさ)しく一境を指し、異念を容れざることを。記主の『観経新疏』の如し。

注1:記主=元照のこと。北宋代の南山宗中興。
注2:観経新疏=元照『觀無量壽佛經義疏』のこと。

また、観法とは一つの対象に集中し、他の思念に及ばないということを、知るべきである。元照の『観無量寿仏経義疏』に説かれている通りである。

Also, you should know that the observation focuses on one object and does not reach other thoughts. It is as described in "Guānwúliàngshòufójīngyìshū観無量寿仏経義疏" of yuánzhào元照.



妙蓮『蓬折箴』36

2016.12.09 22:11|妙蓮『蓬折箴』
若約兩重能所、對諦觀、乃屬所破諦觀相、如器諸淳朴、方名妙觀、(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁下/『蓬折直弁』『続蔵』60、69頁中~下)

若し両重の能所に約すれば、諦観に対す。乃ち破す所に属す諦観の相は、宜しく「器諸淳朴」の如くなるべし。方に妙観と名づく。

注1:両重=理観・事観の二つを指すか?あるいは、三観のうちの性相二観?それとも以下に述べる能所について述べたもの?
注2:能所=心と境を指すか?
注3:於=『蓬折箴』には「拾」の字に作るが、文意から『蓬折直弁』本文にしたがって「於」に改めた。
注4:宜=『蓬折直弁』には「冥」の字に作る。
注5:器諸淳朴=知禮『十不二門指要鈔』の次の文(『大正』46、706頁下)を意識した記述と考えられる。
豈に諦觀倶に能觀と為すに非ざるや。今更に自ら一譬を立て、雙わせて兩重の能所を明かす。器諸淳朴の如し。豈に單に槌を用いて砧無からんや。故に知んぬ、槌・砧は自ら能所を分かつ。若し淳朴を望めば皆な能に属すなり。智者は喩を以て解を得る幸、これに詳しかるべし。皆な弁えざる爲に、兩重所觀とするが故に斯の旨に迷う。
この箇所は天台の三諦三観について述べた箇所。正直よくわからないが、三諦と三観の関係性を槌砧(ついちん・禅堂で食事の時などを知らせる法具で、八角形の細く高い台(砧)を、八角形の槌で打つ)に例えており、どちらもが能(主体)・所(客体)になり得る、ということであろうか。

もし主体(心)と客体(境)について述べるのであれば、これは諦(真理)と観(真理を対象とした観法)について言っているのである。つまり諦と観の相というのは、「器諸淳朴」のように、主体と客体とが融通している状態である。これを妙観と名づけるのである。

If you are talking about subjects (heartland心) and objects (target境), this is about the truth and observations targeting the truths. In other words, the appearance of the truth and the observation targeting the truth is a state where the subject and the object are interchangeable, like "qìzhūchúnpiáo器諸淳朴". This is called miàoguān妙観.





妙蓮『蓬折箴』35

2016.12.08 15:33|妙蓮『蓬折箴』
三種理觀、隨律之、經祖教觀、宜用之、有處戒觀兩門、須分心境、戒以防禁為心、罪惡為境、觀以契會為心、寂理為境、雖有觀事生滅之句、此是事境、如智論因緣所生法也、非謂諦境、(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁下/『蓬折直弁』『続蔵60、69頁中)

三種の理観は、律に随う。経祖の教観は、宜しく之れを用いるべし。有処の戒観の両門、須く心境を分かつべし。戒は防禁を以て心と為し、罪悪を境と為す。観は契会を以て心と為し、寂理を境と為す。観事生滅の句有りと雖も、此は是れ事境なり。『智論』の因縁所生法の如きなり。諦境を謂うに非ず。

注1:三種理観=南山宗でいうところの三観(性空・相空・唯識)のことを指すか。南山宗では、すべての存在へのとらわれを空と観ずる性空觀、すべての存在の本体には姿がなく空であることを觀ずる相空觀、心のほかには何もないことを觀ずる唯識観の三種があると説かれる。
あるいは、前出(妙蓮『蓬折箴』29注3)の三解脱門(空・無相・無願)を指すか。
注2:経祖=教祖と観て、道宣を指すか?
注3:契会=かいえ。ぴったりとかなうこと。あるいは契心証会(かいしんしょうえ)の略。契心は、一切と一心とが割り符を合わせたようにぴったりと一つになっていることで、証会は真理をさとり、道を会得すること。
注4:寂理=涅槃寂静の真理
注3:観事生滅之句=道宣『行事鈔』の以下の文(『大正』40、149頁上)を指すと考えられる。
經中に乃ち多く要を三位に分かつ。一には小乘人の行、事は生滅なりと観ず。人の善惡等の性に我無きことを知る。二には小菩薩の行、事は生滅なりと観ず。人の善惡等の相に我無きことを知る。三に大菩薩の行、事は是れ心なりと観ず。意言を分別す。

南山宗でいうところの三種の真実を対象とした観法は律にしたがう。道宣の教観に関する考え方も、これによるものである。戒と観との両門は、心とその対象がそれぞれ異なる。戒は禁忌を心として、罪悪をその対象とする。観は真理をさとることを心とし、真理そのものをその対象とする。道宣の『行事鈔』には「観事生滅」から始まる句があるが、これは差別の世界を対象としたのものである。『大智度論』に説かれる「因縁所生法」と同義である。真理の世界を対象としたものではない。

The observation targeting the three truths of Nánshān-sect南山宗 follows the vinaya律. The idea concerning Dàoxuān道宣 's teaching and observation is also this. Both gates of Sila戒 and the observation観 are different in heartland心 and target境. Sila戒 's heartland is a contraindication and target is a guilt. Observation観 's heartland is to take the truth, and target is the truth. Dàoxuān道宣's "Sìfēnlǜhángshìchāo四分律行事鈔" has sentences beginning with "guān観shì事shēngmiè生滅", but this target is discrimination world. It is synonymous with "yīn因yuán縁suŏshēng生滅fǎ法" (all established by cause and condition) "in ”Dàzhìdùlún大智度論". This target is not truth world.





業績一覧

2016.12.07 22:52|業績一覧
【著作(単著)】
1.中世後期における戒律研究の展開 平成24~26年度特別研究員奨励費研究成果報告書(課題番号12J40116) 2015年3月

【論文】
35.入宋僧俊芿を発端とした日宋間「円宗戒体」論争 『日本仏教綜合研究』14号 2016年9月 new017_10.gif
34.日本律宗からみた「四分律伝持の曇無徳部」成立時期 『印度学仏教学研究』第64巻第2号 2016年3月 new017_08.gif
33.義浄による有部律典の翻訳とその影響について 『仏教学研究』第71号 2015年3月
32.日本律宗における「賢首大師法蔵」 『印度学仏教学研究』第63巻第2号 2015年3月
31.南都の受戒と安然の「共受」「別受」 『智山学報』第64輯 2015年3月
30.義浄的有部律系与初期密教経典的翻訳及其影響 陜西師範大学宗教学集刊之一《密教研究》第3輯『密教文献整理与研究』 2015年3月
29.智積院新文庫蔵『視覃雑記』索引 宇都宮啓吾研究代表『根来寺聖教の基礎的研究―智積院聖教を中心として―』科研報告書 2014年3月
28.智積院新文庫蔵『視覃雑記』翻刻 宇都宮啓吾研究代表『根来寺聖教の基礎的研究―智積院聖教を中心として―』科研報告書 2014年3月
27.智積院新文庫所蔵 志玉口述・道瑜筆録『梵網古迹下巻聞書』について 『智山学報』第63輯 2014年3月
26.泉涌寺仏牙舎利と請来者湛海について 『印度学仏教学研究』第62巻第2号 2014年3月
25.蓮如上人周辺と泉涌寺系浄土教団「見蓮上人門徒」について 『真宗研究』第58輯 2014年1月
24.일본불교의 戒와 律 금강대학교 『불교학리뷰』2013년、vol.13 2013年6月
23.解脱上人を追慕する人々 『海住山寺ホームページ解脱上人寄稿集』vol.58 2013年3月
22.五辻山長福寺と「見蓮上人門徒」について―浄土教団としての泉涌寺末寺の動向 『東洋の慈悲と智慧(多田孝文名誉教授古稀記念論文集)』、山喜房仏書林 2013年3月
21.真言宗智山派と海住山寺 『智山学報』第62輯 2013年3月
20.知られざる浄土教団「見蓮上人門徒」と清涼寺蔵「迎接曼荼羅図」 『医療と検査機器・試薬』36-1 2013年2月
19.智積院新文庫所蔵『視覃雑記』について 『智山学報』第61輯 2012年3月
17.解脱上人の戒律研究 『海住山寺ホームページ解脱上人寄稿集』vol.43 2011年3月
16.智積院新文庫所蔵の戒律関連聖教群について 宇都宮啓吾研究代表『智積院における典籍・文書の基礎的研究』(平成20~22年度科学研究補助金〔基礎研究(B)〕研究成果報告書 2011年3月
14.凝然の戒体説 『印度学仏教学研究』第58巻第2号〔通巻第120号〕 2010年3月
12.中世律宗における戒体思想の変遷 博士論文 2009年9月
11.〈散逸文献〉凝然撰『梵網上巻古迹修法章』本文の抽出復元 『印度学仏教学研究』第57巻第2号〔通巻第117号〕 2009年3月
10.新出資料 金剛輪寺蔵 知礼述『観音玄義科』 『南都仏教』第92号 2008年12月
7.江戸時代における唯識教学 ―基弁撰『大乗五種姓玄論』を中心として― 『龍谷大学仏教学研究室年報』第13号 2007年3月
6.凝然の戒律思想 ―特に『起信論』の影響について― 『印度学仏教学研究』第55巻第2号〔通巻第111号〕 2007年3月
4.叡尊における戒理解の特異性 ―特に在家仏教徒のために― 『印度学仏教学研究』第54巻第2号〔通巻第108号〕 2006年3月
3.善珠の無表色解釈 『印度学仏教学研究』第53巻第2号〔通巻第106号〕 2005年3月
1.Java言語を用いて作成したN-gram抽出プログラムについて 『漢字文献情報処理研究』第5号 2004年10月

妙蓮『蓬折箴』34

2016.12.06 16:50|妙蓮『蓬折箴』
律本家業、實在此、若便外求、去道轉遠、『濟緣』因釋教云、「教即律藏、律由戒生、故戒為律本(文)(『蓬折箴』『続蔵』60、80頁下/『蓬折直弁』『続蔵60、69頁中)

律の本家業は、其れ実に此に在り。若し便ち外に求めれば、道を去ること転じて遠し。『済縁』に教源を釈すに因んで云う、「教は即ち律蔵なり。律は戒由り生ず。故に戒は律の本と為す」と。文

注1:其=『蓬折箴』では「甚」の字に作るが、文意から『蓬折直弁』の本文にしたがって改めた。
注2:便=『蓬折箴』では「使」の字に作るが、文意から『蓬折直弁』の本文にしたがって改めた。
注3:源=『蓬折直弁』には「源」の字の下に「公」の字有り。
注4:教即律蔵~戒為律本=元照『四分律羯磨疏済縁記』の文章(『続蔵』41、243頁下)。詳細は以下。
是れ教源とは、教は即ち律藏なり。律は戒由り生ず。故に戒は律の本と為す。略して下に三列章門あり。初めは是れ戒體、二には即ち戒行、三には戒相を謂い、四は即ち戒法なり。
注5:戒為律本=『蓬折直弁』には「律為戒本」と作る。

律の本来的な拠り所は、実に以上に述べたとおり、戒なのである。もしそれ以外に求めようとしたならば、道を踏み外してしまう。元照の『済縁記』には、「教えの源」について解釈するにあたって、「仏教とは律蔵である。律蔵とは戒から生まれている。だから戒こそ律の本体なのである」と説かれている。

Vinaya律's inherent stronghold is sīla戒, as mentioned above. If I try to find a place other than sīla, I will step over the road. Yuánzhào元照 interpreted the source of Buddhism in "Sìfēnlǜjiémúshūjìyuánji四分律済縁記", "Buddhism is vinaya, vinaya is born of sīla, so sīla is the body of vinaya".


南北朝期における律宗義について : 附・清算撰『霊峰記』

2016.12.05 16:55|論文紹介
佛教學研究 64, 41-75, 2008-03
 凝然の孫弟子にあたり、西大寺長老第十世を勤めた清算を取り扱った。最澄が叡山に戒壇院設置を上奏した時から、ずっと叡山天台と敵対関係にあった南都律宗であるが、南北朝期に入ると、天台戒観に近似した教学を主張するようになっていたことを明らかにした。
 すなわち南北朝期には、律宗では天台戒観とほぼ同様の主張が唱えられるようになったが、当時の律宗が独自のものとして主張するところを五点にまとめて説明した。
 また清算『霊峰記』の全文翻刻を掲載した。
icon_1r_64.png 上(『仏教学研究』64) Cinii PDF - オープンアクセス
icon_1r_64.png中(『仏教学研究』66) 龍谷大学学術機関リポジトリ
icon_1r_64.png下(『仏教学研究』67) 龍谷大学学術機関リポジトリ






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