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妙蓮『蓬折箴』7

2016.10.06 22:00|妙蓮『蓬折箴』
余、紹定間、退自三山叨濫湖心座司、一日忽來相、訪袖出所撰文藁一卷、口謂求證、

余、紹定の間、三山自り退き、湖心の座司を叨濫す。一日、忽ちに來りて相い訪ね、袖より撰する所の文藁一卷を出し、口謂に證を求む、

注1 紹定間=紹定年間、1228~1233年
注2 三山=拙庵戒度『阿弥陀経義疏聞持記』の石鼓法久による識語に「余(=法久)、疏を三山慶遠庵に寓((遇カ))す」(『続蔵』22、538頁上)とあるところの「三山慶遠庵」と同じか。ちなみに法久は守一の師である如庵了宏の師であり、また『蓬折箴』の著者妙蓮の師でもある。この法久識語に続く刊記には「大宋國慶元府定海縣太丘鄉安期管三山里居住」ともあることから、普陀山近くの昌国県三山里(現・舟山市の桃花島(桃花鎮)か)と推定される。なお下記参考文献1参照のこと。
注3 叨濫=トウラン?いずれも「みだりに」の意。ここでは湖心広福律寺の座主職に就いた自分自身を謙遜して述べたものか。
注4 湖心=凝然『律宗綱要』によれば、南山宗の系譜は、第十八祖竹渓法政律師、第十九祖石鼓法久律師(?~1217~?)、第二十祖上翁妙蓮律師、第二十一祖石林行居律師と次第するとされており、この四名はいずれも「湖心広福律寺」に住したとされる。すなわちここの「湖心」は「湖心広福律寺」のことであろう。
注5 座司=「座」は「首座」の意か。『禅学大辞典』によれば、「首座(シュソ)は、衆僧中の首位に坐る者の意。古くは六頭首の一であったが、のちには九旬安居の一会の期間、僧中で上首に位する役名を指すようになったという。俊芿『殿堂房寮色目』(1220年成立)の「首座寮」項には「右、長老を除く外、衆首を為すことを任ずるの居処なり、首座の位は衆僧の首に居して、長老に代わりて衆の為に開導する者なり」とある(下記参考文献2、p.395)。以上のような情報から、妙蓮は衆僧中の上首で、長老に代わって僧衆を開導する立場にあったものと考えられる。また「司」は、同書の「賓司」が「知客之居處」、「堂司」が「維那之居處」とされていることから、特定の役職名が上に付き、その役職僧の住居の意味を有するものと考えられる。すなわち「座司」は、首座の住居、ほどの意か。なお下記参考文献1参照のこと。
注6 文藁=ブンコウ。下書き原稿のようなものか。

私(妙蓮)は、紹定年間(1228~1233)に三山から退き、僭越ながら湖心広福律寺の首座職の住居を汚すこととなった。ある日(守一が)突然私を訪ねてきた。彼は袖口から自身の著作の下敷きを出し、私に口頭での回答を求めたのであった。

After having resigned from sānshān三山 during the shàodìng紹定 period (1228-1233), I got a job of shŏuzuò首座(the teacher priest of monk) of the guǎngfúlǜsì-temple広福律寺 in húxīn湖心. One day, he visited me unexpectedly. He deliberately pulled his draft of the writing out of his pocket (kimono sleeve) and demanded the oral answer to it from me.

〈参考文献〉
1.西谷功「滄州と入宋僧―南宋代における一律院の所在とその宗教的空間―」(『二〇一二年度早稲田大学総合研究機構プロジェクト研究』第八号、2013)
2.小川貫弌・土橋秀高校訂「俊芿律師遺文」(石田充之編『鎌倉仏教成立の研究 俊芿律師』法蔵館、1972)


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